禁酒して194日。「どうやって 飲まないでいるか」という本を読み返す
禁酒(節酒)して194日。うち飲んだ日は44日(.226)である。
日曜日はカレーを作って食べる。以前はカレーといえばその前にビールを飲むことが常であった。しかし、最近では餃子では心が揺れ動くことはあるが、カレー程度ではびくともせず、飲まなくなった(何がエラいのか!?)。新型コロナウィルスの影響で家にいることが多くなり、副菜もちゃんと準備できるようになったから驚きだ。副菜といってもミニトマトなのだが。
さて、そんななか「どうやって 飲まないでいるか」という本を読み返してみた。「どうやって 飲まないでいるか」という本は、お酒をやめたいと思っている人は一度読んだほうがいい本である。
しかし、結局のところ、また飲んだーーーでもほんの一杯だけだった。それでも特にひどいダメージがあったわけではなかったので、もう一杯なら大丈夫だと考えた。このような経験はおそらくわたしたち全員にあると思うが、ほんの一杯か二杯だけであとはやめられることが分かり、心からほっとしたものだった。わたしたちの中には、こういうことを何度も何度も繰り返した人が多い。
けれどもこれが罠であることは経験が証明している。これで安全に飲めると思い込まされる。だから、二、三杯でこんなに気分よくいられるのなら、あと一杯か二杯飲んだところで何の問題もないという考えになったころ、きっかけになるようなことが起こる。(それは例えば、特別なお祝いとか、個人的な失敗とか、または特別なことが何も起こらないとか)。そして気が付いたときには、自分ではそのつもりは全くなかったのに、またひどい飲み方をしてしまっているのである。以前の状態に戻るのはあっという間である。本当は望んでいないのに、ともかく飲み過ぎてしまうのである。
この文章のなかで好きな箇所は「それは例えば、特別なお祝いとか、個人的な失敗とか、または特別なことが何も起こらないとか」のところである。「または特別なことが何も起こらないとか」のところは、ほぼ毎日お酒を飲んでいた私にとっては、気持ちが痛いほどわかるのである。そう、達成感や嬉しいこと、逆に落ち込んだときにお酒を飲むのはまだわかる。しかし、何も特別なことがなくても飲んでしまうのが、ひどいときは、宇宙からハヤブサが無事に帰還したことを理由にビールを浴びるほど飲んでしまうのが、アルコール依存症予備軍なのである(予備軍というよりも、ザ・依存症だったのかもしれないが)。
つまり、こういう日は飲む/こういう日は飲まないという判断が難しいのである、お酒というものは。そこで登場するのは、プライム・アルコール・メソッドである。素数の出現頻度を超えて飲まない、というシンプルなルールのみの禁酒メソッドである。このメソッドは、イベントを判断の理由にはしていないため、特別なことが何も起こらなくても飲んだ良いのである、そう、素数の出現頻度を超えさえしなければ。